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津地方裁判所 昭和30年(カ)1号 判決

再審原告 検察官 宇治宗義

補助参加人 斎藤志づ 外一名

再審被告 永尾ふさ子

主文

再審被告より再審原告に対する当庁昭和二十四年(タ)第三号子認知請求事件につき当庁が昭和二十四年八月二日言渡した確定判決はこれを取消す。

再審被告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は、前審(当庁昭和二十四年(タ)第三号)及び再審とも再審被告の負担とする。

事実

再審原告は主文同旨の判決を求め、不服の理由として、再審被告は再審原告を相手方として津地方裁判所に子認知請求の訴を提起し、同裁判所は同庁昭和二十四年(タ)第三号事件として審理した結果、昭和二十四年八月二日、「被告(再審原告)は原告(再審被告)が本籍岐阜県多治見市池田町屋二百三十六番地亡斎藤米次郎の子であることを認知すること。訴訟費用は被告(再審原告)の負担とする」旨の再審被告勝訴の判決を言渡し該判決は同年八月二十日確定した。しかして右判決は甲第六ないし第九号証及び証人永尾登美、同甲斐川象太郎、同高田粲三の各証言を総合して再審被告主張の事実を認定したものであるが、その後名古屋地方検察庁において捜査の結果、右証人等は右訴訟において偽証したことが明らかとなつたので、同検察庁検察官は昭和三十年十一月十四日名古屋地方裁判所に対し右証人三名を偽証罪として起訴した。右証人等の偽証事実は民事訴訟法第四百二十条第一項第七号により右判決の再審事由に該当するところ、右証人のうち甲斐川象太郎は昭和三十年十一月二十九日自殺したため、同人に対しては証拠の欠缺以外の事由により有罪の確定判決を得ることができなくなつたから、同法第四百二十条第二項後段の規定により、右判決の取消を求めるため、本件再審の訴に及んだと述べ、本案につき、再審被告の主張事実はすべて不知と述べた。

再審原告補助参加人斎藤志づ訴訟代理人は、

一、亡斎藤米次郎は岐阜県下多治見(可児郡池田村大字池田町屋二百三十六番地)に本宅を有していたが、大正九年頃甲斐川徳次郎の娘登美と内縁関係(妾)を結ぶようになり、同人を名古屋市中区富沢町舞鶴屋旅館、その附近の某家及び名古屋市中区春日町七十六番地或は同市中区西瓦町三十四番地等に囲い情交関係を続けていたところ、登美は大正十年十一月十三日に正夫を産んだ。然し斎藤米次郎は正夫が自己の子なることに疑を持つていたので自己の子として出生届をすることを肯ぜず、又その頃より自然登美の許へ行くことも遠のいて来た。そこで登美は兄甲斐川象太郎、訴外桑原健吉と共に大正十一年九月中、正夫を抱えて斎藤米次郎方へ乗り込み、居坐り策を以つて強談に及び、警察沙汰にまでして強硬手段を弄したので、米次郎も大いに驚き、且つ極度に憤慨して、訴外金子義一(元多治見市長)に解決の斡旋方を依頼した結果大正十一年九月十七日米次郎と登美との間に大要左の如き契約が成立した。

(一)  斎藤米次郎と登美とは内縁関係(妾)を解消し、斎藤米次郎は登美に対し手切金として金一千五百円を贈与すること。

(二)  登美は一週間以内に正夫を自己の私生子として出生届をすること。

(三)  斎藤米次郎は正夫を手許に引取り、その親権は米次郎において行使すること、若し米次郎が登美をして正夫を養育せしめるときは、登美に対し養育料として毎月三十円ずつ養育期間中支給すること。

(四)  登美が大正十一年七月三十一日以前に姙娠していることが判明したときは、その分娩児を米次郎において引取ること。但しその子に対しても米次郎及び登美は前記(二)及び(三)と同様の処置をとること。

(五)  米次郎が右契約を履行する場合には、登美は如何なる名目を以つてするも米次郎の迷惑となる事項を申出でないこと。

右契約条項中第四項は、斎藤米次郎と登美との接衝中、登美が目下懐胎中なるかの如き口吻を洩らしたので、念のため医師の診断を受けしめたところ、姙娠していないことが判明したけれども、万一の場合を慮つて取きめておいたものである。斎藤米次郎は右契約に基き、登美に対し手切金千五百円を支払い、私生子正夫を引取つて、爾来妻志づ(本件補助参加人)においてこれを養育して来た。

斎藤米次郎はその後登美及びその親族一同との交際を絶つたから、その後において登美との肉体関係等は絶対になかつた。

二、戸籍上登美は大正十三年十一月二十八日大阪市の永尾荘之助と婚姻し、大正十四年一月二十五日再審被告を産んだことになつているが、おそらく右入籍以前から、登美と永尾荘之助とは事実上婚姻していて、再審被告は右両名の子として出生したものと思われる。若し再審被告が永尾荘之助の子でないとすれば、それは登美が流浪中に懐胎した第三者の子であろう。いずれにしても、再審被告は斎藤米次郎の子ではない。

三、斎藤米次郎は昭和二十二年一月二十五日死亡したが、前記手切以来右死亡までの間に登美及び再審被告からは何等の音信もなかつたのであるが、登美は米次郎が死亡するや、昭和二十四年二月十日名古屋家庭裁判所に対し、登美が正夫(正夫は昭和十五年三月二日斎藤米次郎から認知せられていた)の実母にして且つ生活に窮していることを理由として財産分与の調停を申立てたが、これは斎藤志づの拒絶によつて調停不調に帰した。

そこで登美及び甲斐川一家は、再審被告が斎藤米次郎の子であるが如く装つて、斎藤家より財産分与に与らんと欲し、先ず手始めに、永尾三郎より永尾登美、再審被告及び同恒友を相手方として岐阜家庭裁判所に親子関係不存在確認の調停を申立て、同裁判所において再審被告は永尾荘之助の子でない旨の審判を受けたうえ、津地方裁判所に対し津地方検察庁検事正を相手方として、再審被告が斎藤米次郎の子であることの認知請求の訴を提起し、該訴訟において勝訴の判決を受けこれが確定するや、再審被告より名古屋家庭裁判所に対し斎藤志づ等を相手方として財産分割審判の申立をなした。

四、本件再審事件の前判決は、甲第二ないし第四号証(いずれも戸籍謄本)、甲第五号の一、二(前記親子関係不存在確認の決定謄本及びその確定証明)、甲第十号証(戸籍謄本)、証人永尾登美、同甲斐川象太郎の各証言により真正に成立したものと認め得る甲第六、七号証(斎藤米次郎の手紙及び封筒)甲第八、九号証(斎藤正夫のはがき)と、証人永尾登美、同甲斐川象太郎、同高田粲三の各証言を総合して、再審被告主張の事実を認定して、同被告勝訴の判決を言渡したものであるが、右各証人の証言はいずれも虚偽の陳述であつて、右証人三名はいずれも偽証罪として名古屋地方検察庁検察官より起訴せられた。

然るに右証人のうち甲斐川象太郎は起訴後服毒自殺を遂げ、又同永尾登美も起訴前後の頃大阪の某地において変死したことが最近になつて判明した。よつて右両名に対しては有罪の確定判決を得ること能わざるに至つたから、右証人高田粲三に対する有罪の確定判決があるを俟たずして再審の訴を提起し得るものである。

と述べた。

再審被告訴訟代理人は、再審原告の請求を棄却する。訴訟費用は再審原告の負担とする、との判決を求め答弁として、再審原告主張の如き確定判決があつたこと、及び訴外甲斐川象太郎が昭和三十年十一月二十九日死亡し、又同永尾登美が既に死亡したことは認める、と述べ、本案につき、

一、再審被告は、戸籍上は訴外永尾登美とその夫永尾荘之助との間に大正十四年一月二十五日出生した嫡出子となつているが真実は本籍岐阜県多治見市池田町屋二百三十六番地亡斎藤米次郎と右永尾登美(その当時は甲斐川登美)との間に出生した子である。永尾登美は大正八年夏頃から右斎藤米次郎と情交関係を結ぶようになり、大正十年十一月十三日右両名の子正夫を産んだ。然るところ、永尾登美の実兄にして当時税務署に奉職していた甲斐川象太郎が、永尾登美が斎藤米次郎と内縁関係を結ぶことに反対したため、大正十一年九月末頃右両名は甲斐川象太郎の手前、内縁関係を解消することにしたが、それは飽くまで表面上だけのことであつて、真実はその後も右両名の内縁関係は継続していた。そして再審被告は右両名の内縁関係継続中、大正十三年三月頃、斎藤米次郎の胤によつて永尾登美が懐胎したものである。永尾登美は再審被告を懐胎した後、甲斐川象太郎と斎藤米次郎との話合の結果斎藤米次郎より手切金及び再審被告の養育料として金千五百円を受領し、これを持参金として再審被告を懐胎したまま大正十三年九月頃、訴外永尾荘之助と結婚し、大正十四年一月二十五日再審被告を出産した。

斎藤米次郎は昭和十五年三月二日前記正夫を認知したが、再審被告の認知はこれをなさずして昭和二十二年一月二十五日死亡した。

二、永尾荘之助の子永尾三郎は昭和二十四年三月、再審被告。永尾登美、永尾恒友を相手方として岐阜家庭裁判所に再審被告と永尾荘之助との間に親子関係がない旨の確認の調停を申立て、同裁判所は右事実を認めて、同年五月二十日再審被告と永尾荘之助との間に親子関係がないことを確認する旨の決定をなし、該決定は確定した。

三、よつて、再審被告は、再審原告を相手方として、再審被告が右斎藤米次郎の子であることの認知請求の訴を提起したものである。

と述べた。

当事者双方の立証並びに認否

再審原告は甲第一、二号証を提出し、前訴訟における甲第一ないし第四号証、同第五号証の一、二、同第十号証の各成立は認めるがその余の甲各号証の成立は不知と述べた。

再審原告補助参加人斎藤志づ訴訟代理人は、丙第一号証、同第二号証の一ないし三、同第三号証の一、二、同第四、五号証同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一ないし四、同第九ないし第十六号証、同第十七号の一、二、同第十八、十九号証、同第二十号証の一、二、同第二十一ないし第二十四号証を提出し、証人奥田孝衛、同小林修二、同斎藤守太郎、同樋口忠夫の各尋問を申出で、乙各号証の成立を認めると述べた。

再審被告訴訟代理人は、乙第一ないし三号証、同第四号証の一ないし三を提出し、証人村田甲子治、同渋谷かぎの各証言を援用し前訴訟において、甲第一ないし第四号証、同第五号証の一、二、同第六ないし第十号証を提出し、証人永尾登美、同甲斐川象太郎、同高田粲三の各尋問を申出で、再審における甲第一、二号証、丙第一号証、丙第二号証の一ないし三、同第九ないし第十四号証、同第十六号証、同第十七号証の一、二、同第十八、十九号証、同第二十号証の一、二は成立を認める、丙第三号証の一、二、同第四、五号証、同第六号証の一、二、同第七号証、同第八号証の一ないし四、同第十五号証は不知と述べ、その余の丙各号証については認否をなさなかつた。

理由

先ず再審原告主張の再審事由の存否について案ずる。

再審被告より再審原告に対する当庁昭和二十四年(タ)第三号子認知請求事件につき、当庁が昭和二十四年八月二日、再審原告主張の如き判決を言渡し、該判決が同年八月二十日確定したことは、本件当事者間に争いがない。(以下右訴訟を前訴訟と略称し、右確定判決を前判決と略称する)。

前判決は、前訴訟の甲第二ないし第四号証、同第五号証の一、二、同第十号証、証人永尾登美、同甲斐川象太郎の各証言により成立を認め得る甲第六ないし第九号証と、証人永尾登美、同甲斐川象太郎、同高田粲三の各証言を総合して、再審被告を亡斉藤米次郎の子として認定したことは前判決の理由によつて明らかである。

そして甲斐川象太郎は前訴訟において証人として、「自分の妹登美は斉藤米次郎と関係して正夫を産み、その後別れたと思つていたところ、大正十三年四、五月頃再び登美が斉藤米次郎と関係して妊娠したことを知つた。それで米次郎にその不信を責めたところ、米次郎は、登美の腹の中の子が自分の子であることを認めたが、その子を引取ることができないというので、斉藤米次郎から手切金及び生れる子の養育費として金千五百円貰い、それを登美に持たせて、妊娠したまま登美を大阪の永尾荘之助に嫁がせた。永尾荘之助は登美が妊娠していることを承知の上で登美と結婚した。登美は二度目に妊娠した頃は名古屋市で一人生活しており、その頃斉藤米次郎以外の男と関係したことはないと思う」旨の供述をしたことが前訴訟の記録上明らかであり、この証言が前判決の事実認定の資料となつていることは、前判決の理由に徴して明らかである。

よつて右証言が虚偽の陳述なりや否やについて案ずるに、前訴訟における証人永尾登美の証言(但し後記措信せざる部分を除く)、成立について当事者間に争がないから、当裁判所において真正に成立したものと認める甲第一号証、証人小林修二の証言によつて成立を認め得る丙第三号証の一、二、同第四号証証人斉藤守太郎の証言により成立を認め得る丙第五号証、文書の方式並びに趣旨により真正に成立した公文書と推定し得る丙第十四号証、同第二十二ないし第二十四号証を総合すれば、斉藤米次郎は大正八年頃より甲斐川登美と内縁関係(妾)を結ぶに至つたが、大正十一年九月十七日右内縁関係を解消することとなり、米次郎は登美に手切金千五百円を与え、右内縁関係中に登美が産んだ正夫は米次郎がこれを引取ることとしたこと登美は大正十二年春頃大阪市の永尾荘之助と結婚し爾来同棲していたこと。斉藤米次郎は登美と大正十一年九月十七日内縁関係を解消した後は、登美及び甲斐川一家と交際することを極力避けていたことがそれぞれ認められる。

文書の方式並びに趣旨により真正に成立した公文書と推定すべき前訴訟の甲第一号証によれば、再審被告は大正十四年一月二十五日出生したことが認められるから、登美が再審被告を懐胎したのは大正十三年四月上旬と推定せられるところ、その頃登美は永尾荘之助と婚姻中であり斉藤米次郎と情交関係があつたことはこれを認めるに足る措信すべき証拠がないから、再審被告が斉藤米次郎の子であるとは到底認め難い。

以上認定の事実に反する乙第一ないし第三号証の記載、証人村田甲子治、同渋谷かきの各証言及び前訴訟の証人永尾登美、同甲斐川象太郎、同高田粲三の各証言は措信し難く、前訴訟の甲第六、七号証によるも右認定を覆すに足らない。

然らば前訴訟において証人甲斐川象太郎が、再審被告が斉藤米次郎の子である旨供述したことは虚偽の陳述であつたものと認めることができる。よつて右事実は民事訴訟法第四百二十条第一項第七号に該当し再審事由があるものというべきである。なお右甲斐川象太郎が昭和三十年十一月二十九日死亡したことは、本件再審訴状に添付せられた甲斐川象太郎の戸籍謄本によつて認め得るから、本件再審の訴は民事訴訟法第四百二十条第二項後段により適法である。

なお、再審原告補助参加人斉藤志づは、前訴訟における証人永尾登美の偽証の事実も、本件再審事由として主張しているが同補助参加人がこれを主張したのは昭和三十一年四月六日の本件口頭弁論期日であり、(右主張は昭和三十一年三月十八日付準備書に記載されているが、右準備書面が何時当庁に提出されたかは記録上明らかでない)民事訴訟法第四百二十四条第一項によれば、再審の訴は当事者が再審事由を知つた日から三十日以内に提起することを要する旨規定されており、これは、既に再審の訴が提起されていて、その訴訟係属中に、新たなる再審事由を追加主張する場合にも適用があつて、その主張は新たなる再審事由を知つた日から三十日以内にこれをなさなければならぬものと解せられるところ、再審原告が永尾登美の死亡したことを知つたのが、(丙第十六号証の戸籍謄本によれば永尾登美は昭和三十年十一月十二日死亡したことが認められる)、昭和三十一年三月八日以後であることは再審原告において主張しないところであるから、これを認めるに由なく、従つて再審原告が右永尾登美の偽証事実を再審事由として主張することは民事訴訟法第四百二十四条第一項の関係上不適法であるといわなければならない。よつて当裁判所は永尾登美の偽証事実については、これが再審事由になるか否かを判断しない。

次に再審被告の本案請求について案ずるに、前記認定の如く再審被告が斉藤米次郎の子であることは、これを認めるに足る措信すべき十分の証拠がない。よつて再審被告が再審原告を相手方として、再審被告が斉藤米次郎の子であることの認知を請求することは失当であり、従つて右再審被告の請求を認容した前判決も失当であつたものというべきである。

よつて前判決はこれを取消し、再審被告の請求を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 西岡悌次 豊島利夫)

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